ラパチーニの娘 (Rappaccini's Daughter) by Nathaniel Hawthorne, 阿野文朗
本日は米文学で参ります。
写真がないので、Amazonさんに助けていただきます。
Hawthorne(ホーソーン、ホーソン)と出会ったのは、12年ほど前の米文学の授業です。当時授業で扱われた作品は非常に記憶に残りやすく、未だに読み返している作品が多いです。
当時授業で読んだのは、『緋文字(ひもんじ;The Scarlet Letter)』で、その後の人生観を大きく変えたことはまた次の機会にでも…。
彼の作品はこの『ラパチーニの娘』と『緋文字』の2つしか読んでおりませんのであまり偉そうなことは言えないのですが、この2作を読んで思ったのは、Hawthorneは人間のあまり触れてほしくはない、若しくは触れたくはない部分を白日のもとに晒し、読んでいる人間を苦しめつつ「人間だからねえ…仕方ないよねえ…皆で苦しもうね」と重たく囁くような作品を書くんだなぁ。ということです。
さて、『ラパチーニの娘』。
あるアパートに越してくる若い男(ジョバンニ)と、そのアパートの裏に庭を持ち、植物を栽培している優秀(?)な博士(ラパチーニ)、その美しい娘(ベアトリーチェ)、ほかにアパートの大家さん等が時折出てくる、非常に短い小説となっています。
あまりに短いので下手なことをいうとネタバレになりそうで怖いのですが。
まず、何よりも人間の強欲さを考えさせられます。
社会的地位、権力、お金…向上心を持ち、貪欲に生きることは良いことだと思いますが、どこかで箍が外れていたり、道が逸れたり、本来の目的とは違うところを目指していたりしないかどうか、どこか途中で立ち止まって振り返ることが大切だなぁ。と感じました。
あとは、後半へ読み進めるにつれて、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』を連想するようになりました。
『風の谷のナウシカ』の中で、腐海の森が出てきますよね。そして、ナウシカが自宅の地下?で胞子を出す植物を栽培している場面が出てきます。確かユパ様が一緒にいて驚いていたかと。
その、ナウシカたちがマスクなしでは死に至ってしまう腐海の森と、試行錯誤した結果有害な胞子を出さなくなった植物たち…
を、連想しながら読んでおりました。
綺麗な花(薔薇)には棘がある…。
あまりにも浮世離れした美しいものにはご用心です。
英語についてのブログも書いています。もしよろしければ…
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