Go Set a Watchman / Harper Lee
書こう、書きたい、どうやって、を繰り返して数カ月。
まとまらないのでふと思ったことをさらっと書き記します。
私の持っている表紙はこちら↓の表紙のやつ。イエローナイフのこじんまりした素敵な本屋さんで買いました。
ですがこれはTeaching Guideとなっていますので、ご注意ください。
Go Set a Watchman Teaching Guide: Teaching Guide and Sample Chapters
- 作者: Harper Lee,Amy Jurskis
- 出版社/メーカー: Harper
- 発売日: 2017/10/24
- メディア: Kindle版
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日本語訳はまだ出ていないのでしょうか。。。ちょこっと検索しましたが見つかりませんでした。
ありました、ありました。邦題『さあ、見張りを立てよ』
本題関係ないですが、やはり翻訳って英語力だけではなく日本語力大切ですよね。タイトル観て思いました。なるほど!と。
さて、Harper LeeさんのTo Kill a Mockingbirdはご存知の方も多いかと思います。
このブログに既に書いたかと思いきや、書いてませんでした。(というか1月から更新してませんでした。)
私はTo Kill a Mockingbirdとは10余年程前に出会いました。読んでません。短大の授業で映画の一部を観ました。結局"to kill a mockingbird":「ものまねどりを殺すこと」ってなんなのかさっぱりわからん!そして何かすごくもやもやする!というのが当時からしばらく引きずった感想です。(だってそもそもものまねどりって何よ、知らないわー。という感じ)
それから何年も経ってTo Kill a Mockingbirdを読み、再度映画を観、腑に落ちる感覚ともちょっと違うのですが、じわじわと何かが脳内に拡がっていって、なんとなく、"to kill a mocking bird"="sin(罪)"かなぁ、なんて思っておりました。ですがまだもやもやは全て解消されはしませんでした。
そんな(どんな?)To Kill a Mockingbirdの…続編といいますか、まぁその後のお話が、今回のGo Set a Watchmanです。
その後のお話だけど、書いたのはこちらの方が先だったようですね。
読む前情報として得ていたのは、
・To Kill a Mockingbirdのその後のお話である
・Atticusが差別主義的でがっかりするであろう
というものでした。
結論から言うと、確かに、Atticusの変わりようには驚きました。おいおい、そんなこと言っちゃうの?と。時にはきっと、そんなこと言っちゃうのは何かの伏線で、何か理由があってのことなのだ!本心じゃないはず。等と自分を宥めながら読みましたが、そんな期待は見事に打ち砕かれました。
でも、がっかりしなかったのです。むしろ、あぁ、やっぱりそうなのか。という感じでした。
そして、To Kill a Mockingbirdのもやもやがすっきり。
前作で感じていたもやもやは、Atticusがあまりにも"完璧すぎる"ことによるもやもやでした。完璧過ぎて逆に疑わしいといいますか。いやいや、そんな完璧な人いないでしょうよ。っていうもやもや(捻くれてる?)
そして、あぁ、やっぱりそうなのか。というのは、Atticusの完璧さが崩れたからではないのです。
同じがっかりを私は前回のアメリカ大統領選で体験したのです。
9年前、オバマ氏がアメリカ大統領に選ばれた時、ほっとしたというか、さすがアメリカ!という感覚でした。時代を動かすのはアメリカなんだと。過去の過ちがなくなる訳ではないですが、そこから学び、改善し、差別をなくす足がかりになるのはきっとこの国なんだと、思いました。
甘かった~そしてそんな風に思った自分若かった~
差別や差別主義、差別主義者は消えていない。燻ぶるどころか、ちゃんとまだばっちり燃えているのです。これまでは、"なんとなく"、"風潮的に"声を大にして差別主義を唱えるといろいろ面倒なことになりそうだ。そんなことで職を失いたくないし。と、差別主義を表に出さないでいた人が、一定数いたということが、前回のアメリカ大統領選挙で白日の下にさらされたのではないか。と思っています。
だって大統領選にでている人が大きな声でいろいろ言っちゃって、結果その人大統領になっちゃってるし。
選挙速報を仕事もそっちのけで観ていたときの嫌なドキドキと、
選挙結果を知ったときのがっかりを通り超えた失望、絶望。
同じものを(まだ前情報があっただけ傷は浅いですが)このGo Set a Watchmanにみました。
余談ですが、「差別をしない」ってものすごく難しいことだと思うのです。
差別は良くないといくら分かっていても、無意識にしてしまっていることもあると思います。
ある時にはその感覚が、相手を攻撃する武器になるのではなく、自分を卑下する道具にもなり得るということを、先月までいたカナダで学びました。
すごくすごく難しい。だからこそ、Atticusにもやもやしていたんだろうなーと思います。
そして、「差別よくない!」が一人歩きしてしまうことが多々あります。
一人歩きするとどうなるか。差別主義を潜在的に持ちつつも、差別しないようにすると、どこかで何かがおかしくなる。つじつまが合わなくなる。
そうすると、それがただの「偽善」と姿を変えてしまう。Jean Louiseがそれです。
個人的にAtticusとJean Louiseどっちもどっち(笑)と思いながら読みました。
何十年も前に書いた作品にも関わらず、このGo Set a Watchmanは今のアメリカを象徴するお話だと思いました。
何十年も前に書いたからこそ、ですかね。書きながら中島みゆきが流れてきたので(頭の中で)そういうことなのでしょう。
♪まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくり返し
ってね。
まわってほしくないですけどね、この件に関しては。
逸れましたが、だからLeeさんは今(正確には2015年)警鐘を鳴らすためにこの作品を出版したのかなぁ、と勝手に思っています。ひとりよがりです。えぇ。
いろいろ考えさせられる作品でした。(もっと上手にまとめたかった…。)
では、また本業に戻ります。
邦題は『アラバマ物語』↓
- 作者: ハーパー・リー,菊池重三郎,Harper Lee
- 出版社/メーカー: 暮しの手帖社
- 発売日: 1984/05/01
- メディア: 単行本
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DVD & Blu-ray↓
時代/中島みゆき↓
♪そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ …くるといいなぁ。
- アーティスト: 中島みゆき,瀬尾一三,倉田信雄
- 出版社/メーカー: ヤマハミュージックコミュニケーションズ
- 発売日: 2001/05/23
- メディア: CD
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THE TURN OF THE SCREW
本日の作品は英文学というべきか、米文学というべきか…
THE TURN OF THE SCREW
です。
引っ張ってきているinstagramに書いてあることがそのままになってしまいそうですが、一応。
そもそもHenry Jamesさん、1843年にアメリカで生まれています。1876年にイギリスに定住し、その約40年後の1915年にイギリスに帰化、1916年に亡くなっています。(テニスンと時期が重なっていますねぇ…この頃の時代背景が気になるところです。)
そして去年は没後100年だったではないですか!Shakespeareの没後400年と夏目漱石の没後100年に気を取られ過ぎておりました。何をどうするわけでもないですが非常に悔やまれます。
テキストを見てみると、英文学史・米文学史ともにHenry Jamesについて取り上げています。
今回は取り上げてませんが、Daisy Miller(1878)を読んでみると、客観的かつ若干自虐気味に"アメリカ人"を捉え、表現していて、読み終えたときに私自身の持っている"アメリカ人"に対する固定観念やある種の偏見に気づかされることが多くありました。
どうするとこの短編の中にこれだけの要素を詰め込めるのだろうかと、尊敬の念しかありません。
個人的には、Henry Jamesは既存の英文学・米文学の枠に収めることができない作家であり、もう、Henry James枠が必要なのではないかと思います。
**********
さて、本題のTHE TURN OF THE SCREWですが、邦題は『ねじの回転』となっています。まぁ、そのままですよね。
余談ですが、screwは日本語では"ねじ(螺子)"で、くぎ(釘)は"nail","peg","pin" etc...となっています。ねじは螺旋状のギザギザがついていてドライバーなどで回転させて物を固定させ、一方くぎはハンマーで打ち付けて物を固定する感じですよね。
余談というか、どうでもいいというか、「そんなの知ってるわ!」と言われそうですが。(笑)
この題名は、作中に出てくる(結構はじめの方で)文から取られています。(どちらが先に浮かんだのでしょうか。)
何度かこの作品を読んでいるのですが、最初の感想は、「怖い」「意味わからない」「結局なにがどうなってるのだ」でした当時私、19歳(笑)
そして、ある社会経験を積んだ後に読んだ際に、少し違った感想を持ったので、そこを中心にお話ししたいと思います。
この作品は、ほとんどが主人公である"私"の語りで進んでいきます。そして、幽霊が出てきます。一応、幽霊とされています。
"私"はある日少年(マイルズ)と少女(フローラ)の伯父から、彼らの家庭教師(governess)を頼まれ、請け負い、そこからさまざまなことが起こっていき、最終的に少年(マイルズ)は家庭教師である"私"の中で息絶えます。
非常に面白いなぁ、と、そして効果的だなぁと思うのは、物語が全て"私"目線で描かれていること。そして、その"私"には名前すら与えられていないということ!(それっぽい文にしたかっただけ。)
そういった意味で、このお話しはとてつもなく主観的で、客観性に欠けているのです。非常に。それは、原書で読んだ方が顕著でした。読みながら、"私"の主観ばかりに少々うんざりしたくらいです。しかもこの"私"の独りよがりったら!(それっぽい…以下略)何かこう、わざとらしいのです。何かが。それを解き明かすにはあと何回読めばいいかしら。
これは文学作品なので、主観的でいいじゃないか、ともなると思うのですが、そもそもそこが、この主観性がこの作品のトリックなのではないかと思います。
そして、私個人としましては、結局このTHE TURN OF THE SCREWは、ただの幽霊話なのではなく、幽霊話と見せかけた「人間の恐ろしさ」を描いた作品なのではないかと思います。
「人間の恐ろしさ」と言っても、表面に出やすい恐ろしさではなく、どちらかというと内面にあって普段隠れている人間の恐ろしさです。
何かを強く思い込んだ時、またはそうなりやすい個人の性質、異質な・孤独な状況下での人の心理、そして自己顕示欲、承認欲求…そしてこれらの融合…
なんかこれを聞いただけでも怖くないですか?
自分はこれらの要素を抱えて、どれだけ今と同じままでいられるのだろうか…
これは、精神的な病を抱えた一人の女性のお話しなのではないでしょうか。
ただ、今では医学が発達して、さまざまな精神的な疾病が明らかにされ…というかさまざまな状況に病名がつけられるようになりましたが、当時はまだ今ほどではなかったのではないでしょうか。(ちゃんとした情報を集めていなくてすみません)
かの心理学で有名な精神科医フロイトが、まさにこの作品の前後の時代を生きた方ですし。
病名がついていないとすれば、「すこし特異な人」にしか映りません。そして、普通の(というと語弊があるかもしれませんが)人が少しずつ変化し、どこか狂気を帯びていく様を描くことで、読者に人間とはどのような生き物なのか、問いかけているようにも感じられます。
【あくまでも精神科に通院されているかたが「普通じゃない」とか「狂っている」と言いたい訳ではありませんので、その点はどうかご容赦ください。表現の幅が狭く、非常に申し訳なく思います。】
ですので、幽霊は幽霊であって幽霊ではないのです。幽霊とは所詮、「見える人と見えない人がいる」存在であり、見える人には現実であり真実ですし、見えない人には夢であり虚偽なのです。それが、幽霊が幽霊たる所以であり、この物語で暗躍(?)している理由でもあります。
見えている人には見えているのです。
"私"には見えるのです。
話がまとめられなくなってきました。
さて、作品の最後の方ではマイルズが"私"の腕の中で息絶えます。その場面は、John SteinbeckのOf Mice and Men(ハツカネズミと人間)に出てくるレニーを連想、見えない(はずのもの)を見て見えるという場面は魔女狩りを題材にした映画THE CRUCIBLEを連想しながら読みました。THE CRUCIBLEに関しては、若い女性の恋心とそれに係る情熱が暴走した結果思わぬ事態を引きおこしてしまうという点でも共通点があるように思います。
非常に頭を使う内容ではありますが、なぜが病みつきになる作品です。
文才がなく無駄に長くなってしまいました。
今日はこの辺でお開きにします。
↓上でも触れたDAISY MILLERも一緒に読めます。
Penguin English Library Daisy Miller and the Turn of the Screw (The Penguin English Library)
このPenguinの装丁好きだなぁ。。
ラパチーニの娘 (Rappaccini's Daughter) by Nathaniel Hawthorne, 阿野文朗
本日は米文学で参ります。
写真がないので、Amazonさんに助けていただきます。
Hawthorne(ホーソーン、ホーソン)と出会ったのは、12年ほど前の米文学の授業です。当時授業で扱われた作品は非常に記憶に残りやすく、未だに読み返している作品が多いです。
当時授業で読んだのは、『緋文字(ひもんじ;The Scarlet Letter)』で、その後の人生観を大きく変えたことはまた次の機会にでも…。
彼の作品はこの『ラパチーニの娘』と『緋文字』の2つしか読んでおりませんのであまり偉そうなことは言えないのですが、この2作を読んで思ったのは、Hawthorneは人間のあまり触れてほしくはない、若しくは触れたくはない部分を白日のもとに晒し、読んでいる人間を苦しめつつ「人間だからねえ…仕方ないよねえ…皆で苦しもうね」と重たく囁くような作品を書くんだなぁ。ということです。
さて、『ラパチーニの娘』。
あるアパートに越してくる若い男(ジョバンニ)と、そのアパートの裏に庭を持ち、植物を栽培している優秀(?)な博士(ラパチーニ)、その美しい娘(ベアトリーチェ)、ほかにアパートの大家さん等が時折出てくる、非常に短い小説となっています。
あまりに短いので下手なことをいうとネタバレになりそうで怖いのですが。
まず、何よりも人間の強欲さを考えさせられます。
社会的地位、権力、お金…向上心を持ち、貪欲に生きることは良いことだと思いますが、どこかで箍が外れていたり、道が逸れたり、本来の目的とは違うところを目指していたりしないかどうか、どこか途中で立ち止まって振り返ることが大切だなぁ。と感じました。
あとは、後半へ読み進めるにつれて、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』を連想するようになりました。
『風の谷のナウシカ』の中で、腐海の森が出てきますよね。そして、ナウシカが自宅の地下?で胞子を出す植物を栽培している場面が出てきます。確かユパ様が一緒にいて驚いていたかと。
その、ナウシカたちがマスクなしでは死に至ってしまう腐海の森と、試行錯誤した結果有害な胞子を出さなくなった植物たち…
を、連想しながら読んでおりました。
綺麗な花(薔薇)には棘がある…。
あまりにも浮世離れした美しいものにはご用心です。
英語についてのブログも書いています。もしよろしければ…
↓↓
THE 100-YEAR-OLD MAN WHO CLIMBED OUT THE WINDOW and Disappeared
文学、というよりも当面は読んだ本の記録の掘り起こしとなる気がしています。(instagramより)
THE 100-YEAR-OLD MAN WHO CLIMBED OUT THE WINDOW and Disappeared
JONAS JONASSON
日本語訳書の題名は「窓から逃げた100歳老人」、映画化もされているようで(観ていません)そちらの邦題は「100歳の華麗なる冒険」となっているようです。
100歳のおじいちゃんが窓から逃げたとか意味が分からない!!と思ってついつい手に取った作品です。 上のインスタ記事にも書いておりますが、もとはスウェーデン語で書かれた作品のため、英語で読むのはすでに翻訳済みのものということになります。スウェーデン語は残念ながらわからないので、泣く泣く英語翻訳書を読みました。(できれば原文で読みたいです)
英語に翻訳されておりますが、固有名詞はおのずと元のスウェーデン語のままとなりますので、若干その点が掴み辛いという点はありますが、致し方ありません。
さて、この100歳のおじいちゃん、超人的、と申しますか、何かと人間離れしていらっしゃっておもしろい。人間離れし過ぎて、比較的現実的な私はたまに「え、それはないでしょ」と冷たくつっこみながら読んでおりました。
何よりも興味深いと思ったのは、このおじいちゃんが100年という歳月を生きているために実に様々な歴史的人物や出来事に出逢っているという点です。
もちろん、ただ100年生きただけでは歴史的な人物や出来事に遭遇しないのですが、運が良いのともって生まれた才を存分に発揮して、100年という歳月をただならぬ100年にしてしまっているおじいちゃん。
日本人が読んでいて非常に親しみのある…というと語弊があるかもしれないのですが、日本人であれば知っているであろう出来事などにも関与している、という設定で描かれていて、興味深いといいますか、入り込みやすかったと思います。
このおじいちゃんのような才能や人望があったらなーと思いながら読み進めつつ、自分も何か、ほかの誰かより優れたものに自分で気づいて伸ばしていきたいと思いました。
それが例え、どんなに些細な物事でも。
歴史上の人物とお近づきになろうなんて、壮大すぎるとは思いつつ、世の中3人の人を介すと目的の人にたどり着けるとか言いますし。
このおじいちゃんも決して有名な人とお近づきになろうだとか、名を挙げてやろうとしているわけではないんですよね。そこが読んでいてもやもやしない点なのだとも思います。
人間、自分にできることをベストなタイミングで発揮すると、もしかして何か壮大な出来事のすぐ後ろにいるかもしれない。
たまにハラハラドキドキ、とんとん拍子でお話が進み、さらっと終わる、そんなお話です。
THE 100-YEAR-OLD MAN WHO CLIMBED OUT THE WINDOW and Disappeared
JONAS JONASSON
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